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『さいごの1つ前』 批評文 vol.1

久留米シティプラザでは、より開かれた劇場を目指し、久留米シティプラザが主催した自主事業公演の記憶を広く永く共有していくために、舞台写真とともに批評文を公開いたします。
 
2023年8月13日に久留米シティプラザ 久留米座にて上演した、『さいごの1つ前』について、九州大谷短期大学 幼児教育学科 准教授の吉栁佳代子さん、演劇評論家の柴山麻妃さんのお二方に批評文をご執筆いただきました。このページでは、吉栁佳代子さんの批評文をご紹介いたします。
 
 
 
どんな人生を生きるか、どんな体験を生きたいか
天国と地獄の分かれ道で、考えた
文:吉栁 佳代子
 
 

2023年8月13日、ちょうど盆の入りの日に久留米シティプラザ キッズプログラム2023『さいごの1つ前』が上演された。フライヤーに「天国と地獄の分かれ道で、なくした記憶を探すおしばい」と冠が書かれてあるように、人が死んでから「天国か地獄」に在籍を決定するまでのお話。お芝居の題材と上演日程にちょっとした運命を感じた。

会場に入ると緞帳の上がった舞台上に大きなブロックのような装置が4つ。舞台全体が淡い水色の明るい色合いになっている。とても「死んだ後」の世界が始まりそうな恐ろしい雰囲気はなく、優しい空間が観客たちを待っていた。明るく、安心感のある舞台は、子どもたちを落ち着かせ、静かなワクワクドキドキを自分で自分の中に抱えておくという体験の時間を作っていた。これは、久留米座という芝居小屋の持つ力も関係しているだろう。落ち着いた客席の色合いや、空間を横に広げず高さを出してどの席からでも舞台に集中できる配置もあって鑑賞にとって良い環境が整えられている。なにより、首を動かさずとも舞台をくまなく観ることが出来る、ちょうどいい大きさなのだ。

 

舞台が始まると、家族らしい3人がテレビドラマを見ている。祖母、息子、孫娘の3人かと思ってみていると、どうやら赤の他人であることが分かってくる。実に面白い。観客が登場人物について「どんな人だろう」と想像している間、登場人物同士も互いを「どんな人だろう、今どんな状況なんだろう」と同時進行で考えている。この絶妙なトリックに一気に引き込まれていく。

自分のことや出来事をすぐに忘れてしまうカオル、有名なミチロウグループトップのミチロウ、女子高生マリン、地獄の案内人アキオ。天国に行きたいとも地獄に行きたいとも思案中のカオル、天国に行くべきだと考えるミチロウ、どうしても地獄に行きたいマリン。3人の思いがそれぞれ吐露されていく中、アキオによる最新地獄情報では、クリームソーダ地獄があったり、針山でツボを刺激して健康になったり。今生きている私たち誰もが本当は知らない、天国や地獄を想像して楽しもうという遊び心が伝わってワクワクしてしまう。誰も本当のことを知らないということは、どんなことでも本当のように創作してしまえるのだ。

神奈川公演(2023年7月 KAAT神奈川芸術劇場)舞台写真 撮影:宮川舞子

 
 

この舞台を鑑賞し2つのことが私の心を捉えた。一つ目は「最高の思い出」について。
天国に行きたいミチロウに、天国には「その人にとっての最高の思い出が必要」と言うアキオ。ミチロウは最高の思い出はたくさんあると言い、自分のこれまでの業績を話すが天国の扉は開かれない。自分にとっての「最高の思い出」とは何かを観ている私も考えた。〇〇で一位を取った、いくら稼いだという業績はどうやら「最高の思い出」ではないらしい。ミチロウは大学生の頃、北海道で野宿し、草むらに寝転がって見上げた満天の星空の体験を話すと天国の扉が開かれた。そうすると「最高の思い出」とは、他者から評価されたことではなく「深く心震わせる瞬間」なのではないだろうか。

1989年に「子どもの権利条約」が国連総会で採択され、日本でも2023年4月にようやく子どもの権利を保障する「こども基本法」が施行された。
「子どもたちは何のために生まれたのか」保育者を目指す学生たちに私は訊ねる。「子どもたちは幸せになるために生まれるんだよ」そう私は伝える。幸せになる権利の保障がようやく明文化された。幸せの一つの形が「最高の思い出」を持つということではないだろうか。ミチロウの北海道の満天の星空のように、VRではない、身体と心と頭全部、丸ごとの私で感動する本物の直接体験が「最高の思い出」を作っていく。
現代を生きる子どもたちの日々の忙しさは、一瞬一瞬の出会いの喜びや感動を何気ないものにしてしまう。ボーっとすることが許されて、はじめて自身の体験をより深く味わうことが出来る。たっぷりの時間と空間と仲間とで創る「最高の思い出」が子どもたちの人生に一つでも多くあって欲しいと願うと同時に、私たち大人は、子どもたちの感動体験の機会を大切にすることが出来ているのだろうかという問いを持った。

 

二つ目は「私の記憶」について。
この場面に出会って、なんだかジンワリと心があたたかくなった。私は自分が死んだ後のことを思ったのではなく、もし自分のことを思い出せなくなったとしても、誰かが私を覚えてくれている。そう思えると記憶をなくすことの恐怖がなくなった。自分が何者かを忘れてしまったとしても、経験してきた時間や記憶は心の奥底のタンスにちゃんとあって、自分じゃない誰かと一緒ならそのタンスを開けることが出来るのではないだろうか。誰かが私を覚えてくれている。こんな安心感はない。

神奈川公演(2023年7月 KAAT神奈川芸術劇場)舞台写真 撮影:宮川舞子

 
 

そして最後に、作・演出の松井周氏と主演の白石加代子氏をはじめ俳優陣の素晴らしさに触れたい。
本作で語られるセリフは、決して子どもたちにわかりやすい言葉ばかりではない。難解な言葉も使われている。しかし、そのセリフは駆使される多彩な演技表現によって、難しい言葉も身体を通した言語表現として提示された。ここに、作り手の大人としての本気、子どもを子ども扱いせず一人の人間として対等に扱う心意気を感じずにはいられなかった。子どもたちが言語を獲得する時、それは意味が解るだけでなく、どのような場面でどのような感情や関係と共に使われるのかも学んでいる。身体性を伴って表現されるセリフの一つ一つは、SNS等の広がりで表記言語優先のコミュニケーションが増え誤解やすれ違いが多くなっている子どもたちに「それでいいのか!?」と問うているような気迫さえ感じられた。

舞台から届けられる様々な問いに私は、どんな人生で応えようかと思いを巡らせながら、客席を後にする子どもたちにまぎれ、終演後の誰もいなくなった舞台をしばらく眺めていた。

 
 

吉栁 佳代子(九州大谷短期大学 幼児教育学科 准教授)

表現教育家、絵本専門士、遊びと子どもとインプロ &.mosaiques代表、結実企画、(特非)こどもとメディア理事。1975年生まれ。学生時代にオーストラリアで演劇教育の現場に出会い触発を受ける。現在、幼児から高齢者、学校現場から認知症デイケアまで様々な人と共に即興演劇の実践研究をおこなう。
 
 

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