『フクローじいさんとベル子ちゃん』 批評文 vol.1
文:長津結一郎
『フクローじいさんとベル子ちゃん』(作・演出=目次立樹(ゴジゲン))は、2022年5月に東京芸術劇場アトリエウエストで初演され、2023年4月に久留米シティプラザCボックスで再演された。セリフのないノンバーバル作品として(正確には「ハナモゲラ語」と紹介される言語を話しているが、観客にはそれが何を意味しているのかわからないようになっている)、言語がわからなくても楽しむことができる作品である。久留米シティプラザとしてはキッズプログラム2023の一環として上演された。客席は多くの親子連れでいっぱいになっており、初めて劇場に訪れる子どもたちにとって「入門編」としての作品であった。
森田珠美によるシンセサイザーの生演奏が臨場感を演出したその筋書きは至ってシンプルだ。気難しいフクローじいさん(目次立樹)は一人暮らしで、貧しい暮らしでありながら必死にお金を貯め込んで生活している。そこにある日、おばあちゃんと2人で暮らし花を売って生計を立てる少女、ベル子(森田かずよ)が訪ねてくる。フクローじいさんはベル子を追い払おうとするが、ベル子は隙をついてフクローじいさんの家にあるお金を取り、花を置いていく。ある時ベル子は、同じようにフクローじいさんの家で花と引き換えにお金を取って帰ろうとする時に、部屋に飾られている絵を落とし、額縁を壊してしまう。あくる日に手製の額縁とともにしおらしく謝りに来たベル子に対し、すこしずつ心を開き始めるフクローじいさん。だが、その関係が突然終わってしまうことが、ベル子の引っ越しを描くシーンによって示唆される。本作の最後のシーンでフクローじいさんは、引っ越しの車に乗せられたベル子に会うことができた。フクローじいさんはもじもじとしながら、ベル子に真っ赤な靴をプレゼントする。喜んで靴を履いてみるベル子。ありがとう、と言い(言っているようなそぶりを見せ)、車で再び去っていく。
だが、ふと気づくと、この靴はベル子の足に合っていたのだろうかという疑問が浮かぶ。それまでのフクローじいさんとベル子のコミュニケーションを顧みると、そもそも常にズレていた。手製の額縁を持ってきたベル子を前に紅茶を出し、振る舞うように見せかけて、意地悪そうに全部自分で飲んでしまうようなフクローじいさんが、ベル子の靴のサイズを知る由もないだろう。
ベル子を演じたのは、義足の俳優・ダンサーとして全国的に活躍し、東京パラリンピック開会式でもソロダンスを披露した森田かずよ。筆者は何度か森田の出演する公演を観ているが、今回はこれまでの義足とは異なる、黒い義足を装着していた。森田によれば義足は、身体が成長するごとに取り替える必要があり、包帯のような石膏ギプスを脚に巻いて固め、何度も「仮合わせ」と呼ばれる作業を経て、完成まで場合によれば半年以上かかりながら、ようやくできあがるそうだ。ただ、森田がエッセイ「わたしの義足とわたしの身体の関係」1) に記すところによれば、「完成してそこで終わりではない」。「ここから、私の身体と義足との、新しい関係が始まるといっても過言ではない」という。義足を付けてみて、「視線は上がり、身体が持ちあがる。小人が巨人になるようなそんな感覚」があるというが、一方で「明らかに物体に身体を預けることになり、バランスを取ることに神経を費やす」という。こうしたプロセスを経ながら、義足に慣れていくというのだ。
森田は自分の義足に関してこうも述べている。
「あれ、この義足(旧型)の方が姿勢よくない?」
足先のちょっとした角度の違いで身体のバランスが変わる。それは、私自身の肉体に影響を及ぼす。腹筋の入り方、お尻の筋肉の締め方、重心の置き場所。恐いのは、身体はすぐに慣れてしまうことだ。古いデータをすぐに削除してしまう。
これは再度調整が必要だ。1)
あまりに大きく身体に合っていない場合を除き、「身体はすぐに慣れてしまう」。たとえそれがわずかにズレていたとしても、徐々に身体が適応していく。
ベル子が靴を受け取って、さっとそれを履き、喜んでいたところを見ると、それほどサイズが合っていなかったわけではないかもしれない。ただし子どもの足の成長は早く、すぐにそのサイズは合わなくなっていく(たとえその足が森田のように義足であったとしても)。ベル子が引っ越した理由は作中では描かれていないが、これまでの生活環境と異なる場所に移動したのは明らかである。フクローじいさんがくれた靴のサイズが仮に合っていなかったとしても、ベル子の「身体はすぐに慣れてしまう」。その身体の成長を通じて、また新たな靴が履かれていき、あるいは新しい地の環境に慣れていく。
ところで、今回の公演を、主に子どもにとっての鑑賞環境の面について考えると、やや改良の余地があったようにも思われた。客席の高さが大人と概ね同じであり、前の席に座る人の頭で舞台が見えにくそうにしていた子どもがいたようだった。希望する観客には座布団が配られて高さが補強できるようにはなっていたが、本作の内容を顧みると、客席に段差がない形でのフラットな舞台でも、十分鑑賞に耐え得る内容だったように思う。また、開演前のアナウンスが大人向けで、マイクも通されず、多くの観客にとって聞き取りづらいこともやや残念であった。
ただ、演目中に子どもたちの何人かは動いたり、しゃべったりしていた様子だが、それを咎める雰囲気もなく、初めて舞台鑑賞を体験する子どもたちには得難い体験になったことが期待できた。この子どもたちにはまたぜひ劇場に足を運んでもらいたいと、舞台関係者の一人としては切実に思う。
キッズプログラムを入り口として、子どもたちの身体が劇場に接し、だんだんと自分の居心地の良い劇場のあり方を見つけていくこと。義足にすぐに慣れてしまう、森田の身体のように。フクローじいさんからもらった靴に合わせて成長する、ベル子の身体のように。この物語から始まるそれぞれの日常、つづく日々に思いを馳せた。
1) 森田かずよ(2023)「森田かずよのクリエイションノート vol.5 わたしの義足とわたしの身体の関係」、『福祉をたずねるクリエイティブマガジン こここ』 https://co-coco.jp/series/creation_note/creation05/(2023年6月4日最終取得)
長津 結一郎(九州大学大学院芸術工学研究院准教授)