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市原佐都子/Q『妖精の問題 デラックス』 批評文 vol.1

久留米シティプラザでは、より開かれた劇場を目指し、久留米シティプラザが主催した自主事業公演の記憶を広く永く共有していくために、舞台写真とともに批評文を公開いたします。
 
2022年7月2日、3日に久留米シティプラザ Cボックスにて上演した、市原佐都子/Q『妖精の問題 デラックス』について、福岡大学教員でアメリカ演劇研究者の坂井隆さん、演劇評論家の柴山麻妃さんのお二方に批評文をご執筆いただきました。このページでは、坂井隆さんの批評文をご紹介いたします。
 
 
 
※この批評文は、作品の制作者や執筆者の意図等を尊重し、原文のまま掲載いたしております。配慮を要する表現、用語が含まれていますことをご了承ください。
 
公共劇場の「異物」、または毒のある想像力
文:坂井 隆
 

1.

「私は、芸術作品のなかでは、現実では封印されるべき危ないものを表出させることができると信じている」(172)。『バッコスの信女―――ホルスタインの雌』の「あとがき」で市原佐都子氏はそのように述べている。2016年に相模原市の障害者施設で起きた殺傷事件をきっかけに創作された『妖精の問題』では、ブスや老人を害とみなす、優生思想的な価値観に毒された発言が繰り返され、ゴキブリを駆除するための殺虫剤の煙を「原爆」に例える不謹慎な台詞が挟み込まれる。このような露悪的な作品を公立の文化施設(公共劇場)で上演する意義とは何であるのか。演劇批評家の内野儀氏は、ドイツ、特にベルリンにおける公共劇場の役割について報告している。そこでは、「端的には、単なる娯楽作品には助成はな(く)」、舞台芸術が「社会的使命を忠実に果たす」ことが求められ、同時に「社会的義務と想定されるものの価値転倒的な問い直し」、つまり、「社会の「メインストリームな=支配的な」ものに対して、批評的/批判的に向き合う、あるいはオルタナティヴなヴィジョンを提示する類いの芸術」までもが上演される。

ドイツの事例を日本が見習うべきモデルとして祭り上げるつもりはないが、支配的な社会通念に対して「異物」として働く作品がベルリンの公共劇場で積極的に上演されているという事実は、久留米シティプラザでの『妖精の問題 デラックス』上演を考えるためのひとつの視座を提供してくれる。情報メディアの急速な発達により個人がいつでもどこでも必要な情報を獲得できるようになったが、その利便さが、収集する情報の偏り、つまり、「不必要な情報」は極力閲覧せず、「見たくはないもの」は見なくても済む、ある意味で無菌化された状況を生み出したことも事実である。そのような状況下で「現実では封印されるべき危ないものを表出させる」市原氏の作品が公立の文化施設で上演され、不特定多数の観客が「(意図的に)耳障りな」台詞を聴く場をもてたということは意味があることだし、そのことは同時に最大公約数的に「うける」作品が上演される傾向にある日本の公共劇場―――チェルフィッチュの岡田利規氏も「日本の公共劇場の公共性はどうしてこんなに、イコール最大公約数的、なんだろうとも思う」(147)と批判している―――への挑発ともなっているように思える。

 

第1部「ブス」

 
 

2.

市原氏は、徒に前衛的な手法や 晦渋 かいじゅうな内容に走るのではなく、むしろ、テレビやネット上で溢れかえるフォーマット(お笑い系、音楽系、自己啓発セミナー系)を利用している。しかし、そのような形式と矛盾するかのように『妖精の問題』で扱われる主題はルッキズム(外見差別)や優生思想といった、決して「笑えない」ものであり、作品の細部にも決して「笑えない」(が、日本の現実を映し出す)事象が描き込まれている。例えば、第1部「ブス」の主人公は、幸福の基準がコンビニの商品戦略によって方向づけられた、「コンビニに生かされてる」(118)「ブスの」女子高校生で、第2部「ゴキブリ」に登場する主人公の夫は「牢屋のような場所で老人の排泄物を片づける仕事」(135)をし、「セブンイレブンの自社ブランドの発泡酒」(135)を飲むことを楽しみとしているし、「遠くに食べに行くのが億劫」(132)なので不衛生な豚骨ラーメン屋で食事を済ませる「とび職風の人」(132)についての言及もある。また、第3部「マングルト」の冒頭で代読される手紙の送り主は「介護士を雇えない老人」(145)である。

このような「妖精たち」、つまり、「見えないことにされる」(112)人たちの問題を可視化することが『妖精の問題』の狙いである。では、舞台上で開示される妖精たちの問題に観客はどのように向き合えばよいのか。第1部で「ブス」が「老人」を虐げて自己肯定感を得るように、私たちも、妖精たちの生態を、優越感を抱きながら観察したらよいのであろうか。西日本新聞紙に掲載されたインタビュー記事(2022年6月22日)で市原氏が答えているように観客は「面白いと思ったら笑っていい」のである。ただし、「笑った自分って何だろうと振り返ったり、作品に触れて自分の日常のことを省みたりする」ことも必要である。その意味で『妖精の問題』が久留米シティプラザのユースプログラム「新しい演劇鑑賞教室」の一環として上演されたことは意義深い。鑑賞後に参加者たちは作者、事業関係者、そして他の参加者たちとの対話を通して「笑ってしまった」、「優越感を抱いてしまった」自分自身を客観的に捉え直すことが可能になるからである。興味深いことに市原氏によって書かれた戯曲にもそのような振り返りを促す仕掛けがテキストレベルで施されているように思える。

 

第2部「ゴキブリ」

 
 

3.

『この国の不寛容の果てに』に収められた雨宮処凛と神戸金史との対談の中で、もし、子どもに障害がなかったら、相模原事件の捉え方が変わっていたかどうか、という雨宮氏の質問に対して重度の自閉症の息子をもつ神戸氏は次のように答えている。「ひどい事件だとは思っても、自分のことだとは思わなかったかもしれませんね。そういう想像力を持つための教育が足りなかったのかもしれません。人権教育も平和教育も、重要なのは相手の立場とか、歴史的な局面にもし自分が立たされたらと考える想像力が出発点です。素朴かもしれませんが、内なる優生思想に対抗するための最大の方法だと思います」(75)。

この神戸氏の言葉は、『妖精の問題』第3部「マングルト」の幕切れの重要さを照らし出してくれる。「マングルト」では「殺菌=良いこと」(156)という価値観が問い直され、「優生思想」が「殺菌」や「抗生物質」といった言葉に置き換えられて表現される。「夢幻能」を彷彿とさせる幕切れ(能舞台の橋掛りや鏡板を模したようなセットの一部も印象的)で小室淑子の亡霊が在りし日の姿で登場し、次の台詞で作品を結ぶ。「わかりやすく言いますと あなたのからだが地球だとすると あなたはまんこにすんでいるデーデルライン桿菌のなかのひとつの菌くらいの存在です それくらいのものともいえるし 小さくて大きな存在というわけですね」(165)。「あなた」に語りかける、この台詞の中で、小室淑子は、「あなた」を、「まんこにすんでいるデーデルライン桿菌のなかのひとつの菌くらいの存在」と見なす。しかし、ここで「あなた」(と呼びかけられた観客)は不愉快に思うかもしれない。なぜなら、作中でデーデルライン桿菌が抗生物質によって脅かされる存在として描かれていることを考慮すると、「あなた」は、十把一絡げに「殺菌」される菌のひとつに例えられていることになるからだ。しかし、その不快な気持ちには意味があるように思える。その感情を抱いてしまうことが、「あなた」を、小室淑子がかつて囚われていた「潔癖症」に結びつける証拠、つまり、「喫煙者 お酒を飲む方 障害者 太っている方 病気の方などを 不潔のものとして嫌った」(155)彼女の優生思想的な価値観を「あなた」も密かに共有してしまっていることの証拠かもしれないからだ。差別はいけないとわかった気になっている「あなた」の偽善を暴く市原氏の鋭い視点がここにあるように思える。

12月には「新しい演劇鑑賞教室」第2弾として村川拓也氏の『Pamilya(パミリヤ)』の上演が予定されている。『妖精の問題 デラックス』とは違ったやり方で「生きづらさ」や「不自由さ」を観客に追体験させる作品である。日本の公共劇場の中で敢えて「異物」であり続ける久留米シティプラザの取り組みに今後とも注目したい。

 
※『妖精の問題』からの引用は『バッコスの信女―――ホルスタインの雌』(白水社)に収められた戯曲版に基づく。
 
<参考文献>
雨宮処凛(編)『この国の不寛容の果てに―――相模原事件と私たちの時代』(大月書店、2019年)
市原佐都子『バッコスの信女―――ホルスタインの雌』(白水社、2020年)
市原佐都子、佐々木直樹「人物現在形」(西日本新聞2022年6月22日)
内野儀「<公共>ということ―――ベルリンから」(アーツカウンシル東京2015年12月18日)
岡田利規『遡行―――変形していくための演劇論』(河出書房新社、2013年)
 
 

坂井 隆(福岡大学教員、アメリカ演劇研究者)

大阪府生まれ。熊本県立大学教員を経て2017年4月より福岡大学人文学部英語学科准教授として勤務。 現在、アメリカの劇作家テネシー・ウィリアムズの戯曲研究と並行して日米演劇のインターカルチュラリズムについての理論的・歴史的研究にも従事。ウィリアムズに関する論文が海外の学術誌Journal of Modern LiteratureやModern Dramaに掲載(または掲載予定)。
 
 

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 市原佐都子/Q『妖精の問題 デラックス』 批評文 vol.1

2022年12月28日