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『イミグレ怪談』 批評文 vol.1

久留米シティプラザでは、より開かれた劇場を目指し、久留米シティプラザが主催した自主事業公演の記憶を広く永く共有していくために、舞台写真とともに批評文を公開いたします。
 
2023年9月2日、3日に久留米シティプラザ Cボックスにて上演した、神里雄大/岡崎藝術座『イミグレ怪談』について、演劇評論家の柴山麻妃さん、福岡大学共通教育センター外国語講師の鈴木美香さんのお二方に批評文をご執筆いただきました。このページでは、柴山麻妃さんの批評文をご紹介いたします。
 
 
 
幽霊にはできて、私たちができていないこと
文:柴山 麻妃
 
 

●幽霊は空間と時間を移動する

「イミグレ怪談」=イミグレーション(immigration、移民)のこわい話。これは、移動する幽霊たちの物語である。

ふと、幽霊はどこで生まれるのだろうと考えた。古戦場で、墓地で、無念の死を遂げた場所で、彼らは徘徊したり佇んでいたりしていると聞く(幸か不幸か私は見たことがない)。つまり幽霊はいつも土地と結びついていて、土地の記憶を呼び起こす物語―――「かつてその地で起こった」「そこには○○があった」という語り―――の中から生まれてきた。

では幽霊は遠く離れた地に移動することができるのか。幽霊たちが旅し、土地に縛られず軽やかに動く姿を想像するとユーモラスではある。が、移民の歴史が決して明るく楽し気な話ばかりではないことを思うと、移民イミグレの幽霊が姿を現すのなら、彼らの言葉、そして彼らが語りえない言葉にも耳を傾ける必要があるだろう。もっとも、本作に登場する移民の話は、一様ではない。日本から南米ボリビアに渡った半世紀以上前の移民の話もあれば、現代の移民の話もある。空間(国境)を横断する移民の話を、時間を縦断する形で描いているわけだ(なるほど幽霊にしかできない技だ)。本作は、3人の幽霊たちが語り部となって「故郷を離れ、遠い土地で生きていく」話を繰り広げていく。

沖縄公演(2022年10月 那覇文化芸術劇場なはーと 小劇場)舞台写真 撮影:大城亘

 
 

●「沖縄」の持つ記憶

舞台は四部構成だ。三名の役者が松井周、上門みき、大村わたるという本名のまま登場する。同窓会だと言って現れた割には、彼らは互いを知っているのかいないのか会話はかみ合わず、茫洋とした空気が流れている。関係が見えないまま、それぞれが一幕ずつ中心となって語りを展開する。

第一幕「タイの幽霊」は、酒好きが高じルーツをたどるうちに、沖縄を経てタイに住むようになった男・松井周の話だ。彼は沖縄のお酒・泡盛がタイ米で作られていること、そしてラオスの蒸留酒「ラオラオ」がルーツだと知り、新たにその蒸留酒に名前を付け沖縄で売り出していると語る。

第二幕「ボリビアの幽霊」は、上門みきがブラジルに住むハトコとオンラインで「ボリビアに移住した祖父の兄」の年金手続きについてやり取りをする中で、沖縄からボリビアへの移民の歴史について語る。上門の口から南米への移民の歴史の辛苦のみならず、なぜ・・沖縄・・から・・ボリビア・・・・だった・・・のか・・ が語られ、合い間に無邪気にも大村が疑問をはさむ形で「ポルトガル人がブラジルにやってくる前にも住んでいる人はいた」ことや「移住後の国籍」について触れられる。ハトコとのオンライン映像がフリーズしたり上門と大村のやり取りが軽めだったりすることもあって、語られる内容の重さに比して明るめのトーンである。

第三幕「沖縄の幽霊」は、本州から沖縄に移住した男の話を大村わたるが語る。引っ越した先で出会った「マコさん」の話は後述するとして、興味深いことにここでは沖縄という地と幽霊の関係が語られる。いわく、沖縄では幽霊も妖怪も日常生活に溶け込んで共存している、国際通りを歩く人の3分の1が幽霊と言われている、沖縄戦で死んだ日本兵の幽霊が多すぎる、などと。

お分かりのように三幕まで沖縄が共通して登場する。かつては琉球と呼ばれた別の国だったということ(一幕)、日本が戦争に負けた後、アメリカ軍に占領され基地だらけにされ困窮したこと、見かねた沖縄出身のボリビア移民がボリビアにオキナワ移住地を作ったこと(二幕)。断片ではあるが沖縄の歴史を垣間見ると、三幕で沖縄では幽霊が共存しているというのは当然かもしれないと思う。先に述べたように、幽霊は土地の記憶を呼び起こす物語の中で生まれる存在なのだから。そして、この国はいまだ沖縄に負を押し付けている。本作は移動の物語の一方で、土地(沖縄)が持つ記憶を刻んでいる。

沖縄公演(2022年10月 那覇文化芸術劇場なはーと 小劇場)舞台写真 撮影:大城亘

 
 

●「わかる」ということ。「わかっている」のは誰なのか。

さて四幕では、3人が集まって酒を酌み交わしている。上門は赤地に黄色の模様が入った浴衣を羽織っているのだが、これは三幕目の「マコさん」の恰好である。マコさんは沖縄に移住した大村の隣に住む女性で、彼に沖縄の妖怪の話をする。捉えどころのない存在なのだが、大村に向かっての言葉がいちいち示唆に富んでいる。例えば「あなたはわかっているようでわかっていないね」「あなたには歴史と呼べるものがない」「背負うものがない」。大村は何が分かっていないというのか、いやそもそもここでいう「あなた」とは誰のことなのか。

ここで注目したいのが大村の恰好で、実は一幕目から不思議なつなぎ服を着ている。四幕目で彼がそれを脱ぐと、なんとオムツ姿。つまりつなぎ服はロンパースで、彼は「赤ん坊」ではないか(シアターカフェ (注) の参加者の意見。なるほどと頷いた)、しかしなぜ赤ん坊なのか。

考えるにこれは、赤ん坊のように「何も知らず排泄物も処理してもらえ、きれいな状態でいる者」の象徴なのではないか。いや、赤ん坊は大きくなり、やがて自分の始末は自分でつける。無垢で未来のある赤ん坊の比喩というより、誰かに沖縄の後処理を押し付けて、過去を見ることもなく能天気に歴史や現実を見ていない、見ようとしない、「わかっていない」我々のことを指しているのではいだろうか。

翻ってマコさんとは誰なのか。実は3人の役者の中で上門だけが沖縄のイントネーションで喋っている。マコさんが、自分を「過去に囚われて殺され続ける存在」と言うくだりがあるが、つまり彼女こそが「沖縄」なのだろう。印象に残っている言葉がある。酒を飲みながら上門が「(魚の)目玉が一番おいしい、二番目が骨、三番目が皮だ」と言った後に、「肉体よりも骨よりも、何を見てきたかってことだよ」とつぶやくのだ。―――沖縄は見続けてきたのだ、そこで何が起こったのか、行われてきたのか、どうしてそういう事になっていったのかを。私たちは見続けてきたか。目をそらしていないか。分かった気になっていないか。恥ずかしい思いと共に自問する。

舞台中央にある、天上に続く黒い帯(道)の上で3人の幽霊たちはそれぞれの好きな酒を飲んでいる。…お酒なら、どこがルーツであろうが、どの国境を越えようが、誰も気にしないのに。私たちが歴史から目を背けなければ、誰に何を強いることなく、軽々と「越える」ことができる日が来るかもしれない。星空の下の3人を見ながら、それが今を生きる私たちの課題なのだと思った。

 
(注) 『イミグレ怪談』終演後に開催した、観客同士が感想を共有する会。柴山氏が進行し、11名が参加した。
 
 

柴山 麻妃(演劇評論家)

大学院時代から(ブラジル滞在の1年の休刊をはさみ)10年間、演劇批評雑誌New Theatre Reviewを刊行。2005年~朝日新聞に劇評を執筆。2019年~毎日新聞に「舞台芸術と社会の関わり」についての論考を執筆。演劇の楽しさを広げたいと、観劇後にお茶しながら感想を話す「シアターカフェ」も不定期で開催中。劇評と、演劇情報を2つのブログにて執筆。
 
 

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2023年10月18日