「老いと演劇」OiBokkeShi『恋はみずいろ』批評文
2025年7月5日(土)、6日(日) に久留米シティプラザ Cボックスにて上演した「老いと演劇」OiBokkeShi『恋はみずいろ』について、九州大学大学院 医学研究院 助教の岡崎研太郎さんに批評文をご執筆いただきましたのでご紹介いたします。
文:岡崎研太郎
正直なところ、演劇の専門家でもない自分に、公演評なんて書けるのだろうかと最初は思っていました。ところが、いざ書き始めると、あまり悩むことなく言葉がすらすらと出てきました。これは演劇の持つ力のおかげかもしれません。 私は内科医で、糖尿病を専門としています。診療を通じて患者さんやご家族と向き合ううちに、人と人とのコミュニケーションに強い関心を持つようになりました。糖尿病診療でよくある場面に焦点を当て、短い劇にして上演し、観客である医療者とディスカッションする形式の医療者教育ワークショップ『糖尿病劇場』に携わってきました。その延長で、菅原直樹さんが主宰する『老いと演劇ワークショップ』に三重、オンライン、福岡、浜松と4回ほど参加したことがあります。また、菅原さんは、私の友人である家庭医の孫大輔先生が監督を務めた映画『うちげでいきたい』の脚本も担当されています。こうしたご縁から、今回この公演評を書く機会をいただいたのだと思います。

『恋はみずいろ』(2025年 岡山公演)
菅原直樹さん率いるOiBokkeShiの最新作『恋はみずいろ』を観劇しました。一言で表すなら、「とてつもなくすごいものを観て衝撃を受けた」というのが正直な感想です。泣いたり笑ったり、自分の感情の起伏が忙しすぎて、ストーリーを追うのも大変でした。 舞台は老人ホーム。多様な生きづらさを抱える人々が集い、些細なきっかけで頑なになってしまい、ぎこちないコミュニケーションがあちこちで生まれる。そんな“家族”の物語として私は受け取りました。
『恋はみずいろ』(2025年 岡山公演)
登場人物たちは、誰もが何かしらの「違和感」を抱えています。都会生活に疲れて地方への移住を考えている人、信頼関係のもとに入居者の貴重品を預かる職員、遠距離介護で家族との距離に苦しむ娘― 一見まっとうな人間に見えても、みな心のどこかに違和感を持っています。それぞれの人々が違和感を抱えながら、コミュニケーションをとることで、あちこちで些細だけれど喜劇のような出来事が頻発します。 それはこの世に「違和感を抱えていない人などいない」というメッセージであり、他者との向き合い方次第で、その人の魅力を受け取ることができるのだと思いました。分断が進むように感じられる今の時代に、強く響くテーマだと思います。
『恋はみずいろ』は家族の物語でもあります。家族は自分で選ぶことができず、簡単には抜けることもできず、ときに、いや、しばしば不条理なものとして存在します。「親ガチャ」という言葉に象徴されるような、現代的な問題も内包しています。何か問題が生じた時、家族のために尽力すべきなのか、それともあきらめて静かに距離をとるべきなのか― 観客自身に問いが返ってきます。 観劇中、劇中のエピソードが自分自身の家族の記憶を呼び起こす瞬間がありました。かき氷をめぐるシーンでは、岡山の旭川花火大会の帰り、父と弟たちでかき氷を食べた自分の幼少期の記憶がふと蘇ってきました。父はいつも決まって宇治金時を頼み、小学生の私は「なんでそんな苦いのがいいんだろう?」と毎回不思議に思ったものでした。家族の物語は、誰もが持っている、忘れかけていた自分と家族とのエピソードを思い出させ、誰の心にも静かに届くのだと改めて感じます。そういえば、最近自分が見聞きした範囲だけでも、渡辺えりさんの『ガラスの動物園』、岩井秀人さんの『て』、宮沢りえさんと佐藤二朗さんの『そのいのち』、いずれの作品も家族がテーマになっていました。

『恋はみずいろ』(2025年 岡山公演)
この作品の特徴の一つは、現実と演劇の境界が曖昧になっていく感覚です。この舞台に立つ多くの出演者は、プロの俳優ではなく、4年前の岡山県奈義町でのワークショップから演劇を始めた人たちだと聞きました。しかしその演技には、それぞれの人が背負ってきた人生の「切実さ」がにじみ出ています。劇を見るうちに、どこまでが素の本人でどこからが役として演じている劇中人物なのか、そんなことはどうでもよくなっていきます。菅原さんはワークショップを通じて出演者それぞれの個人的な物語を引き出し、脚本に織り込んでいるのではないかと想像します。そのため、演劇経験の少ない人でも無理なく演じられ、観客には切実感を伴って届くのではないでしょうか。 別の言い方をすると、日常生活こそ演劇なのだ、と言えるのかもしれません。家庭、学校、職場、サークル、あらゆるところで人はそれぞれの役割を演じて生きている。菅原さんはその日常の一コマを巧みに切り取り、舞台上に再構築して見せてくれました。 人は役割がなくなると生命力も枯れていくように思います。何度か、高齢者施設で、俳優と高齢者と一緒に劇を作ったことがあります。「普段のレクリエーションには積極的に参加することはありません」と聞いていた方が、前のめりで楽しそうに演じている姿を見て、施設の介護スタッフと驚いたことを思い出します。劇の中での役割が、その方の活動スイッチをオンにしたのだと感じられました。日常生活という現実と演劇の世界は分断されているのではなく、つながっているのかもしれません。演劇の持つ、その人の奥深くに秘められた力を引き出す魔法によって。

『恋はみずいろ』(2025年 岡山公演)
特筆すべきは、ラストシーンに登場した99歳の岡田忠雄さん(おかじい)の存在です。 おかじいが舞台にいるだけで、そこには圧倒的な尊さがありました。歩けなければ立ったままで、立てなければ座って、座れなければ寝たままで。自分はどのような形でもOiBokkeShiの公演に参加するのだ、というおかじいの力強いメッセージを確かに受け取りました。遠路はるばる久留米の地まで来てくださったこと、心から感謝します。カーテンコールでの菅原さんとの漫才のような掛け合いも、この公演を締めくくる最高の瞬間でした。

『恋はみずいろ』(2025年 久留米公演カーテンコールの様子)
今回の公演は両日ともほぼ満席の大入りだったと聞きました。公演を支えた久留米シティプラザのスタッフの皆さんにも心から敬意を表します。 この公演を観て、糖尿病を持つ当事者やご家族、医療者を交えて糖尿病に関する演劇を創ることができたら―そんな夢を抱きました。いや、夢ではなく、いつか実現させたい「目標」です。夢は見るものではなく実現させるもの、本公演を観劇したあとでは、この言葉が切実さを持って私の心に響きます。 私にとって『恋はみずいろ』は、他者との向き合い方、家族という不条理への問いかけ、現実と演劇の境界を溶かす構成、そしておかじいの存在が放つ圧倒的な生命力、これらが重層的に響き合う、忘れがたい舞台でした。 (2025年7月5日/久留米シティプラザ)
岡崎研太郎(九州大学大学院 医学研究院 助教)

