カンパニーデラシネラ『はだかの王様』批評文 | 久留米シティプラザ

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カンパニーデラシネラ『はだかの王様』批評文

久留米シティプラザでは、より開かれた劇場を目指し、久留米シティプラザが主催した自主事業公演の記憶を広く永く共有していくために、舞台写真とともに批評文を公開いたします。
 

2025年12月14日(日) に久留米シティプラザ 久留米座にて上演した カンパニーデラシネラ『はだかの王様』について、九州産業大学人間科学部子ども教育学科准教授 三原詔子さんに批評文をご執筆いただきましたのでご紹介いたします。
 
 
“わからなさ”を楽しみ、学びをひらく舞台
   文:三原詔子

 

< はじめに >

 本稿では、カンパニーデラシネラによるパントマイム劇『はだかの王様』を通して、演劇がもつ「自由」と「想像力」の教育的価値について考察します。本作品は、アンデルセンの童話を素材にしながら、言葉を排し、動きと素材、そして観客の想像力によって世界を再構築しています。
 ここでは、舞台の特徴と観客の反応を記録し、保育や教育に活かせるヒントを探ります。特に、“わからなさ”を楽しむ態度が、子どもの探究心や自分にはできるという感覚を育てる学びにつながることに注目します。


1. 久留米座に広がる“自由の風”―安心の場づくりが生む学び

 12月14日、久留米座の250席は満席となり、親子や家族、三世代が肩を並べてカンパニーデラシネラのパントマイム劇『はだかの王様』を楽しみました。劇場には開演前から自由でやわらかな空気が広がり、司会者の「笑っていい、驚いていい、声を出していい」という合意のことばが観客に安心感を届け、子どもも大人も、同じ目線で舞台に入り込んでいきます。
 セリフを排した物語は、動きと素材、そして観客の想像力によって立ち上がり、演劇の本質である「共に創る」体験を鮮やかに示しました。開演前に共有された合意のことばは、安全で自由な参加の枠組みを明確にし、保育における環境構成(安心の場づくり)の重要性を端的に伝えています。
 

2.わかりやすさを超えた挑戦―探究心を育む舞台の力

 この公演が挑戦しているのは「わかりやすさ」ではなく、視覚で遊ぶ面白さです。解説を削ぎ落とし、理解の近道を遮断することで、観客に考える余白を与えています。
 題材となったのは、デンマークの童話作家アンデルセンによる『はだかの王様』。見えない服を仕立てる詐欺師にだまされた王様が、裸のまま行列に出るという有名な物語で、「権威に対する盲従」や「本当のことを言う勇気」をテーマにしています。
 しかし、この舞台は古典が本来持つ道徳的な要素をなぞるのではなく、素材の見立てと遊び心で、世界を大胆に再構築していました。その根底には「もっとわがままでいい、もっと自由でいい、はっちゃけていいんだよ」というメッセージが確かな力をもって息づいています。教育的には、“わからなさ”を恐れずに探索する態度(探究学習)を育てる営みとして意義深いものです。

『はだかの王様』 (2021年初演 高知県立美術館) 撮影:釣井泰輔

 

 

3.動きと素材が語る、非言語コミュニケーションの豊かさ

 幕開けは、やわらかな白の服に身を包んだ演者が指人形を操り、舞台脇の客席から静かに現れる場面から始まります。手のひらの小さな存在と演者の動きが完全にシンクロした瞬間、劇場内に一瞬で集中が宿ります。
 演者は5名で、シンプルな服装に身を包み、場面によっては1人から5人までが登場し、役割を自在に切り替えます。新聞紙が風を起こし、身体の動きと重なる場面や、帽子とジャケットが演者の動きに連動する場面では、視線が釘付けになります。静と動の切り替えが巧みで、緊張と笑いが交互に訪れます。
 赤いポストが登場すると、物語は「待つ」時間のドラマへと移ります。手紙を待つ待ち遠しさやもどかしさは腕の動きで、ショックは全身の揺れで表現されます。芝居が身体に宿るたび、客席から笑いが起きました。
 二つの箱が床を滑るように動き出すと、子どもたちは「なに?」「中に人がいる!」と声を弾ませ、隣に座っている保護者も笑います。箱が逃げると「鬼ごっこしよう!」の声が飛び、ゴミ箱が帰ると自然に手を振って見送る。観客の反応そのものが、舞台を共に創る力になっていました。
 ここには、視線や身振りを介した共同注意、タイミングを捉える「間」の感覚、そして非言語のコミュニケーションが豊かに育まれる過程が見て取れます。

 

4. 小道具と音楽が織りなす、見立て遊びの教育的価値

 音楽は要所で効果的に使われています。最初に鳴る音が場を起動させ、時々うっすら流れる楽曲が空気の密度を変えます。舞台にあるのは、箱、木枠、ポスト、赤じゅうたん、白布、帽子、ジャケット、バッグなど、わずかな小道具で世界を描き出します。それでも街並みは影絵として立ち上がり、演出は舞台の枠からはみ出して客席へ近づきます。赤いじゅうたんが敷かれた瞬間、そこは城になり、木枠は鏡となって王様と人の動きが重なります。椅子取りゲームの場面では、可笑しさが際立ち、劇場内は笑いに包まれました。
 限られた素材が多様な意味に変身する過程は、保育でいう見立て遊び(象徴機能)の豊かさを体現しています。素材の属性(色・形・質感)と身体の動きが交差するとき、子どもは語彙以前の“語り”を獲得し、言葉の芽が育ち始めます。

『はだかの王様』 (2021年初演 高知県立美術館) 撮影:釣井泰輔

 


5. 観客の反応が物語を紡ぐ

 椅子取りゲームへの参加を促す合図はとてもシンプルです。演者が腕を高く上げるジェスチャーで意図が伝わり、手を挙げた子ども2人が誘われて舞台に上がります。演者との楽しいやりとりを見せる子どもたちに、温かな拍手が起こりました。
 押し車に乗って登場するのは、マラカスやラッパなどの楽器です。音とともに演者のコミカルな動きが加わり、場面にユーモアが生まれます。さらに、動くと思わせて動かない「意外性」が笑いを誘います。この笑いは、言葉による説明ではなく、タイミングと身体の選択から生まれるものです。ひとつひとつの「間」が、物語の意味を形づくっていることがよくわかります。
 印象的だったのは、客席の子どもたちの自由さです。幼児が「ママのところに行っていい?」と問い、すっと膝の上に移動します。その後、面白い場面では振り返って目を合わせ、楽しさを親子で共有します。客席は「感じたことを行動に移していい場」になっています。静けさは保たれながらも、観客の息づく反応が途切れることはありません。言葉がなくても心は動き、場内のあちこちで非言語のコミュニケーションが確かに育っています。こうした体験は、子どもが安心して選び、親子で気持ちをやりとりする力を育てます。それは、子どもの心の育ちを支える大切な土台となります。

 

6. 終演後に見えた、振り返りが育む言語化の力

 終演後、演者が客席に問いかけました。「みんなが知っている『はだかの王様』と違った?」。子どもたちはためらわず、「少し違う」「全く違った」と答えます。率直な声が、劇場にまっすぐ響きました。自分の感じた差異を言葉にする勇気、違いを違いのまま引き受ける強さ。言葉を手放した演出は、子どもにとって探究心を呼び覚ます体験であり、保育や教育に新しい視点をもたらします。その瞬間、この演劇の核心「心を解放し、表現を引き出す力」が鮮明になりました。これは、この観劇を通して、学習における振り返りの大切さを実感する場面でもありました。

 

7. まとめ―自由と想像力が学びをひらく時間

 カンパニーデラシネラのパントマイム劇『はだかの王様』は、道徳的寓話としての枠組みを知る私たちに、別の見方を差し出します。決まった答えに連れていかれるのではなく、素材の見立てから世界をつくり直すプロセスを、一緒に遊ぶように体験させます。
 箱は二つの動きで擬人化され、掛け合いを始めます。木枠は鏡にも門にも変わり、赤じゅうたん一枚で場所が変わり、白布一枚で空気が変わります。少ない道具の豊かな変身が、演劇の原点的な歓びを呼び覚まします。そして何より、作品全体から届くのは「自由でいい、はっちゃけていい」という許しの言葉です。
 正しさよりも感じること、説明よりも遊ぶこと。デジタルに囲まれた日常の外で、呼吸を合わせ、目を凝らし、笑い合う時間がここにあります。家族で観るにふさわしい、やさしくて挑戦的な作品です。劇場を出るとき、私たちはきっと自分の「ほんとうの目」を少し取り戻しているでしょう。理解する目ではなく、感じる目。わかりやすさの向こうにある、想像の広がりを信じたくなる公演でした。

『はだかの王様』 (2021年初演 高知県立美術館) 撮影:釣井泰輔

 


8. 教育と保育に生きる、観劇体験の示唆

 この観劇体験には、保育や教育を豊かにするヒントが詰まっています。
 まず、安心できる場づくりです。開演前に交わされる「合意のことば」は、保育の場で参加のルールを明るく共有するよいモデルになります。
 次に、見立て遊びの促進。限られた道具から多様な世界を生み出す工夫は、子どもの想像力を育て、言葉の発達にもつながります。さらに、非言語コミュニケーションの大切さも感じられます。視線や身振り、間合いで意味をつくる体験は、言葉を覚える前後の子どもにとってとても有効です。
 また、演出に込められた“わからなさ”を受け入れる視点は、探究する学びにつながります。問いを持ち続けることが、深い学びの出発点です。
 最後に、家族での学び。三世代が同じ目線で楽しむ時間は、家庭での会話や振り返りのきっかけとなり、学びを広げます。この舞台は、子どもの育ちを支える多様な要素を含み、保育や教育の現場に新しい視点をもたらします。遊びと学びが響き合う場の力を、改めて考えるきっかけとなるでしょう。


< おわりに >

 『はだかの王様』の舞台は、観客に「自由に感じ、自由に考える」時間を差し出しました。言葉を手放した演出は、子どもにとって探究心を呼び覚ます体験であり、保育や教育に新しい視点をもたらします。
 はじめに掲げた問い「"わからなさ"を楽しむことができるか」に、この舞台は力強く答えています。"わからなさ"を恐れずに遊ぶこと、それが学びの出発点であり、創造の芽を育てる営みなのです。
 保育や教育においても、安心できる場で自由に試行錯誤する時間を保障することが、子どもの主体性と想像力を育てる鍵となるでしょう。

 あなたなら、どんな"わからなさ"を楽しみますか?

 

三原詔子(九州産業大学 人間科学部 子ども教育学科 准教授)

福岡市内の幼稚園勤務を経て、1998年より子育て支援および保育者養成の講師として活動を開始した。2018年に中村学園大学大学院を修了し、修士(人間発達学)を取得。現在、子どもの言葉の育ちと保育者の専門性をテーマに、大学教育と地域子育て支援に取り組んでいる。また、NPO法人「地域ぐるみの子育てをすすめるひだまりの会」理事として、家庭と保育現場をつなぐ取り組みを継続している。


 

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