男女の性差の根源とは? ~演劇『わかろうとはおもっているけど』を通して考えるフェミニズム~レポート | 久留米シティプラザ

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男女の性差の根源とは? ~演劇『わかろうとはおもっているけど』を通して考えるフェミニズム~レポート

10月4日(土)、久留米女性週間記念事業「くるめフォーラム2025」の関連企画としてえーるピア久留米で開催したトークショー。妊娠をきっかけにすれ違っていくカップルを描いた演劇『わかろうとはおもっているけど』の作・演出を手掛けた山田由梨をゲストに迎え、アート・演劇・文術をジェンダーの視点で取材している西日本新聞記者の川口史帆を聞き手に、約50名の参加者の前で作品やフェミニズムについて語りました。その時の様子をお届けします。

ゲスト(写真右):山田由梨(劇団「贅沢貧乏」主宰・作家・演出家・俳優)
聞き手(写真左):川口史帆(西日本新聞報道センター文化セクション記者)


 児童劇団に所属していた幼少期以降、学業専念の時期を経て高校時代に再び俳優を志した山田由梨さん。芸能事務所から食事制限や“白いワンピースの似合う清楚な女の子”であることを求められる中、小劇場で観た演劇に影響を受け「自由になりたい」と望むようになった。やがて作り手としての自我が芽生え、20歳で劇団を立ち上げる。その名も『贅沢貧乏』。大学生だからお金はないけど、手間をかけてお客様に贅沢な時間を届けたい、そんな思いを込めた。

 贅沢貧乏の『わかろうとはおもっているけど』(以下、『わかおも』)では、1組のカップルの妊娠をきっかけに、家事分担や仕事の比重といった日常生活における男女の性役割から、カップル間の性的同意など少し踏み込んだ部分までが描かれる。妊娠の報告に戸惑いつつも喜ぶ彼と、素直に喜べない彼女。物語は、なぜ彼女が妊娠を喜べないのかを紐解いていく中で、女性を擁護する友人や世代の異なる二人の不思議なメイドが登場し、混とんとしていく。
 山田さんが本作を書いたのは27歳の時。少子化の原因を女性に押し付けるような政治家の発言を自分ごととして捉え、出会ったばかりのフェミニズムと向き合った。女性に子どもを産むことを強請する社会、妊娠は喜ぶべきことという風潮にも違和感があった。「今まで刷り込まれてきた常識と新しい価値観が、自分の中で激流となってぶつかって潮目のような感じだった」と当時を振り返り、「フェミニストという言葉を使うのに勇気が必要だったころの葛藤する心が表れている。今の自分には書けない大事な作品」と目を細める。

 フェミニズムを考察しているとき、自身の内面にいろいろな価値観が共存していることに気づいた。『わかおも』はそんな複合的な内面を、四人の女性に分けて描いている。例えば予期せぬ妊娠がわかったとき、喜べない自分を責める自分、喜べない理由があるから仕方ないと開き直る自分、なんでわかってくれないのと憤る自分、好きな人の名字になるのが嬉しいと思っていた昔の自分がいてもいい。「妊娠したことを喜べなくて嫌だという感情を肯定したかった」。

 登場人物は女性四人に対し男性一人。優しい彼は彼女に寄り添おうとするのだが、気持ちは届かず堂々巡り。「‟わかり合う”には相手の立場をどれだけ想像できるかが重要。そもそも異なる環境で生きてきた個人が理解しあうなんて、すごく難しいんだよってことを考え抜いて書いた自由研究の結果」が本作だ。子どもを産むのは女性で、身体の違いを無視して男女平等は成り立たない。みんなに当事者として観てもらいたいから、演出も含め男女の対立にならないよう意識した。

 二人は結局わかり合えたの?という問いには「それはみなさんが観て判断すること」とニッコリ。伝えたかったテーマを聞かれると「演じるときは徹底的に役(他者)の立場を考える。だから作品を観て共感することは、他者理解にもつながると思う。『わかおも』は男女を超えた他者理解の話。フェミニズムかどうか以前に相手や違う意見、そこに至った歴史もすべてリスペクトし、どんな人の生き方も複雑なまま肯定したい」と俳優から転身した山田さんらしい回答。

 最後は、「世界はすごいスピードで変化しているから戸惑うこともあるけど、それぞれ学ぶ機会や理解できるタイミングは違う。自分の内面で分裂したり対立したり、いろんな感情があるのは当然だし、意見がまとまらなくてもいい。これから自分はどう変化するのかな、相手も次に会ったときは変わっているかもしれないな、くらいの穏やかな感じで他者を理解すると良いかな」と柔らかな笑みを浮かべながらも凛とした口調で締めくくった。

2025年11月18日