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ろうそく能「葵上」木ノ下裕一&多久島法子にインタビュー

2025年11月9日(日)に、久留米座でろうそく能『葵上』を上演します。久留米シティプラザ初のろうそく能ということもあり、今春、本番さながらの能舞台を組んで綿密なリハーサルを実施。「舞台スタッフの皆さんの気迫を感じた。チーム一丸となってつくっている」と手ごたえを語る監修・解説の木ノ下裕一さん(木ノ下歌舞伎主宰)と、本公演で六条御息所の生霊を演じる多久島法子さんにインタビューしました。

●舞台の周囲に多数の燭台を置き、和ろうそくの揺らめく灯の中で演じる“ろうそく能”。なぜ、この演出にしようと思われたのですか?

多久島:通常の能公演とは違って、クリスマスやハロウィンのような特別感があるので(笑)、「なに!? ろうそくでやるの?」ってワクワクして、初心者の方が一歩を踏み出すきっかけになるといいなと思っています。能楽は描いていない部分が多いので、みなさんに頭の中で想像してもらわなきゃいけない。その部分を視覚的な演出で補うので、きっと想像しやすくなるんじゃないかな。

木ノ下:確かに。ろうそく能って、見ている側の神経が研ぎ澄まされていく感じですよね。舞台上が薄暗くて見えるもの自体が少ないので、聴覚に比重がかかるというか、五感を能に添わせていく感覚。

多久島:ろうそくは、能の世界に入りやすくするアイテムかも。

木ノ下:野外の自然光でやっていた、昔の暗い時間帯の能ってこんな感じだったのかな。

多久島:だんだん暗くなっていく時に般若が出てくるというね。

木ノ下:まさに逢魔が時ですね。

●通常の照明よりも暗い、ろうそく能ならではの難しさもありそうです。

多久島:能面はそもそも視野が狭いので、真っ暗にするとほとんど見えていない状況になります。ろうそくのホワンとした明るさは感じるけど、物が見えていないのでめちゃくちゃ大変(笑)

木ノ下:かえって集中する、という感じにはならないんですか?

多久島:いえ、“怖い”が勝ちますね。

木ノ下:非常に無理をさせてしまうんですね…

多久島能楽堂だと非常灯がついているのでそれを目印に自分の向いている方向を確認出来るのですが、今回はお客様ファーストで真っ暗にしようって照明さんとも話していて。私的には大変ですけど、その分雰囲気が良くて喜んでもらえるかなと思います。

木ノ下:先ほどリハをしましたが、ろうそくだけの灯だと客席からは全く見えないので、ほんのちょっとだけ照明を足しているんですね。その足す度合いが「どこだとギリギリか」っていうのを念入りに探りました。お客様には見えるけれど、ろうそくの情緒は消さない。しかも多久島さんが安全に舞えるかどうか、その3つの折衷、ギリギリのラインを狙って調整しました。

●木ノ下さんは昨年、大濠公園能楽堂で多久島さんの『葵上』をご覧になり、とても感銘を受けたとのこと。今回はろうそく能ということで期待が高まりますね。

木ノ下:法子さんの『葵上』を拝見して、六条御息所の印象がかなり変わりました。六条御息所というと、一般的に情念とか恨みとか恋の苦しさみたいなことが強調されがちな気がするんですが、法子さんの場合は悲しみが前面に出ていて。それも恋の悲しみだけではなく、社会的な立場からくる苦しみとか、過去のプライドが傷つけられたトラウマ的な記憶とか、そういう風にしか生きる道がなくて悶々としちゃう感じとか、いろんな苦しさが乗っかって、厚みがあって生々しかった。古典然とした登場人物ではなく“生”のものを見た気がして、こんな生の『葵上』があるんだなってすごく感動したのを覚えています。

 

●六条御息所の境遇や感情は、現代の女性にも通じるものがありますね。

多久島:六条御息所は元皇太子妃で位が高く、気品も教養もある。でも生き方が不器用で、思っていることを素直に出せないんですね。本妻の葵上なんて、光源氏が風邪をひいても心配すらしない。

木ノ下:葵上はドライだから。

多久島:ツンデレ系女子ですね(笑)。一方の六条御息所はそういう甘え方ができない。自分では制御できないほど想いを秘めすぎて、生霊となってしまう。彼女自身「まさか私が生霊になるなんて」ってびっくりしてると思うんです。プライドだったり性格だったり、不器用なところがそうさせてしまったのかな。誰かに少しでも気持ちを吐露していたらこんなことにはならなかったかもしれません。

木ノ下:原作の『源氏物語』でも六条御息所はある日突然、自分に沁みついている匂いで「生霊になってるかも」って気づく。そこは踏襲してるんだけど、原作では生霊はモヤモヤっとした実体のないものとして描かれているのに対し、能では人物として登場する。ビジュアルを与えることで彼女の抱えるモヤモヤを視覚化してくれるから、能って優しいですよね。

●一方で、曲名にもなっている葵上は実際に登場しないんですよね。

多久島:葵上が衣1枚で表現されるのがみどころの一つ。本来なら葵上を主人公にして、彼女が怖がっている六条御息所の生霊を想像してもらう方が物語も膨らみそうなのに…。

木ノ下:原作のヒロインは葵上ですからね。

多久島:世阿弥が整えたといわれている曲ですが、ヒロインを真逆にする能の作り込み方はスゴイ!この曲は、なぜ六条御息所が生霊になったのかを考えながら観ると楽しいんじゃないかな。前半にワキ(葵上の重臣たち)は「葵上がこんなにも苦しんでいるんだから何とかしなきゃ」って巫女を呼ぶんだけど、彼らには六条御息所が見えてない。巫女から「こんな人に心あたりありますか?」と聞かれて「六条御息所だ!祈祷してもらわなきゃ」って流れになる。お客様には見えてるのに、ワキには見えてない設定だからわかりづらいかも…。

木ノ下:そこがわかると前半がより面白くなるので上演前の解説で話します。女性の巫女は六条御息所に同調するけど、男性の修験者は力づくで調伏する。その男女の違いにも注目ですね。

 

●巫女役は女性の方が演じるのですか?

多久島:女性です。

木ノ下:役と性別が一致してみえるのですね。

多久島:巫女が弓の音で霊を呼び寄せて憑依させるシーンでは、鼓がプ、ポ、プ、ポと二つの音を繰り返すのが印象的。

木ノ下:当時の巫女は弓をビヨンビヨンと鳴らしていたんですが、それを鼓の音に見立てて表現するんですね。

多久島:舞台上が一種のトランス状態となって、その音に引き寄せられるように六条御息所がスーッと橋掛り(橋のような廊下)から現れるんですが、ろうそく能の幻想的な空間がリンクしているなって。

木ノ下:確かに。闇の中からふわっと浮かび上がる感じが見どころですね。

●後半は有名な般若が登場しますが、般若の能面を使用する曲は意外と少ないと聞きました。

多久島:約200曲ある中で『葵上』『道成寺』『安達原』の3曲しかないんです。それぞれ演じ方に違いがあって、六条御息所だけが位が高くて気品がある。「般若と化してもそこを忘れてはいけないよ」と師匠から言われています。

木ノ下:『道成寺』の女性は蛇体に化した幽霊、『安達原』の老婆は鬼女だから半人半妖、六条御息所だけが生霊とはいえ生きている人間ですね。

多久島:般若は怒りや恨みに重きを置かれがち。私も若いころは後半の般若を上手にやろうと思っていたけど、歳を重ねるごとに、前半をやってこその後半だなと思うようになりました。今回も前半、六条御息所が募らせていく気持ちに重きを置けたらなと思います。

●最後にみどころを教えてください。

木ノ下:企画の構成としては初心者向けの「解説→能→アフタートーク」の三部構成。前回の『巴』の時はすごく手ごたえがあって、テンションが爆上がりしたんですよね。初めはすごい浅瀬だなと思っていても、途中からグーンと深いところまで掘り下げて、お客様をどこまでお連れできるかが肝。能をまるまる一番観た後に法子さんの話を聞くんですが、マニアックな話にもお客様がちゃんとついてきてくださる。法子さんは「これが正解だよ」ではなく、「私はこう思ってやったけどどうでしたか」と多様性を示してくれるので、いろんなことを受け取って豊かな気持ちになれるんです。入口はビギナー向けに見えて、出口は「すごい体験したかも!」と満足できる公演って、手前味噌ですがなかなかないと思ってます(笑)

多久島:主人公の気持ちを丁寧に語ってもらった後に舞えるって、すごくありがたい企画だなって感じています。木ノ下さんの解説は本当にフラットで、誰にでもわかる例えだったり話し方で導いてくれる。しかも「こんな見方もあるよ」って。そこが気が合うと言ったらおこがましいんですけど…

木ノ下:気が合うんですよ!前回の『巴』が初タッグでしたが、既にバディ感が出ているというか、チームというか。法子さんの能が引き立つような解説をしたいし、トークでもいろいろな魅力を引き出したい。

多久島:能の話をして楽しいと感じた方は能楽師以外で初めて!私自身「能って難しいですよね」って言ってしまいがちだし、舞いながら「この表現わかりづらいかな」って感じる瞬間があったんですが、『巴』の時はお客様が木ノ下さんの想いを受け取って、それぞれの見方で集中しているのを肌で感じました。涙を流している方やハンカチで目を抑えている方も見えて、役者冥利に尽きるなって。能の可能性を改めて実感したので、今回も安心して表現できます。六条御息所を演じる上では、修験者との対決が見どころ。般若になりつつも気高さは失わず、「こんなことしてちゃいけない。この世とつないでいる糸を切らしちゃいけない」って葛藤している部分を演じたい。六条御息所のカタチが残っている『葵上』の物語を表現できたらいいなと思っています。

 

2025年08月15日